「死んだことに気付いていない」滅ぼされた村の人びとも
『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』では、「テドンの村」の演出に驚かされたのではないでしょうか。
ネクロゴンドの近くにあるこの村は、魔王バラモスによって滅ぼされてしまいました。
テドンの村に初めてたどり着くときには、夜になっていることが多いのがゲーム上の仕様です。
夜でも村は賑わっており、商店も営業しています。ところが宿屋に泊まって朝になると、
昨晩会話をした人びとの姿はなく、村は白骨死体が転がった廃墟となっているのです。
夜の間は、自分が死んだことに気付かない人や、この世に未練を残した村人たちの亡霊が生活していたのです。
さすがに子供時代だったとはいえ、この演出にショックを受けたプレイヤーは多かったでしょう。
『ドラクエ3』では、旅の途中で何度か情報を耳にしていた父「オルテガ」が、大魔王ゾーマの城で、
魔物との戦いに敗れるのを目にするというイベントも起こります。しかも、感動の親子の再会とはならず、
オルテガはすでに相手が誰なのか分からない状態になっているというのも、哀しみを増幅させます。
ファミコン版ではオルテガのグラフィックが「覆面にパンツ一丁」という、「カンダタ」などの敵キャラの流用である点から、
哀しみのシーンがネタにされがちなのも複雑なところです。
ファミコンの最後のタイトルとなった『ドラクエ4』でも、第5章で勇者の育った「山奥の村」が「ピサロ」によって
滅ぼされてしまいます。勇者を魔族の目から隠して育てていた村の人びとは、命がけで対抗します。
勇者の幼なじみである「シンシア」は、姿そっくりに変身する呪文「モシャス」で身代わりとなり、
殺されてしまいます。戦いが終わり、静かになった村には、シンシアのかぶっていた「はねぼうし」が
残されているというのも切なさを増します。
勇者にとって、ピサロはシンシアや自分を育ててくれた村の人たちの仇ですが、そのピサロもまた、愛する人を失います。
エルフの「ロザリー」は、彼女が流すルビーの涙を目的に人間に暴行され、命を奪われてしまいます。
ピサロを真の魔族の王にするため、「エビルプリースト」が仕組んだことではあるのですが、
ファンの間では「勇者が護衛であるピサロナイトを倒してしまったせいでは?」などとも語られています。
ロザリーを失い、人間を滅ぼすことを改めて決意したピサロは「進化の秘法」で異形の「デスピサロ」となります。
シンプルな「勧善懲悪」とは少し毛色の違うストーリーが、プレイヤーの心に残っているのではないでしょうか。
なんでアッー!みたいになってんだよ
耳の形からして人間じゃないよね
あの村自体が勇者を守るために各地の精鋭を集めて作られた村だったのだろ
シンシアもエルフ族の代表として勇者の親友という役割を与えられあの村で勇者を守っていたんだ
クソゲーの話はやめろ
12は大人向けのダークな内容にするとか言うスクエニって
自分の仕事内容すら憶えてないんだな
346バッドエンド
71011はうーんこの
3バッドには異論
あと一歩が逃げていくッッ!!
生き残ってる日本のRPGはポケモンとアトラスだけ
真・女神転生VV
はい普通に面白い
ドラクエ3リメイクは確実にゴミ
そもそも社会現象(笑)とかいうfC版ドラクエ3もドラクエ9より売れてない
ネットのない時代にマスコミが作ったブーム
なんつうか
「縄文時代ってコンビニないのにどうやって電気代払ってたの?」
って言ってるぐらい頭悪い
「いや口座振替だろフツー」って合わせてくれる人ばかりに甘やかされてるコミュ障感というか
くだらんほんと、7なんて終始どうでもよかったしとどめが4の6章
そこで俺のドラクエは完全に終わった
5でもう十分辟易していたが既に、全てに駄目だしできるわ5だけは
腐り始めたらダメっぽいけど
福一吹っ飛んだ時アッテムト化するんだと思ってた
2人ともガンダムにもいるしな
10年以上ネタ毎日投稿するならそれは愛としか言いようがない
牢屋の囚人がそれっぽいこと言ってたんだっけ?忘れた
「ー」と「っ」と「!」はどれも2個ずつ
【これマジ?】トミーズ雅、長女が大学を卒業した際、長女の友達10人ほどを韓国に卒業旅行に連れて行った模様・・・ »
ドット絵で描かれた苦しい物語
ファミコンでリリースされた『ドラゴンクエスト』初代から第4作『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』までは、
ドット絵で描かれたグラフィックから、想像を膨らませてゲームをプレイしたものです。
第5作『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』から、ハードがスーパーファミコンとなり、
グラフィックも一気に進化しました。よりいっそう、ストーリーに感情移入できるようになったのではないでしょうか。
『ドラクエ5』で多くのプレイヤーの心に強烈に焼き付いているのは、主人公の父「パパス」が非業の死を遂げるシーンでしょう。
息子を人質にとられ、無抵抗なまま魔物に殺されたパパスの死は、いまでもたびたび話題にのぼります。
ファミコン時代の『ドラクエ』でも、大人になってから振り返ると、胸がぎゅっとなる悲惨なシーンが描かれていました。
まず初代『ドラクエ』からは、「ドムドーラの町」が挙げられます。ドムドーラの町の周辺は魔物も強く、
HPもMPも残り少ない状態で初めて町を見つけたとき、プレイヤーはホッとしたことでしょう。
ところが、町に入ってみると、宿屋も店も営業していないどころか、魔物が出現する廃墟であることが分かります。
ドムドーラは、魔物によって滅ぼされてしまった町だったのです。
プレイした当初は、「やっと町にたどり着いたのに、敵が出る!」と絶望した記憶があるのではないでしょうか。
かつてドムドーラで武器屋を営み、魔物の襲来でメルキドに逃げ延びた「ゆきのふ」という人物が持っていた「
ロトのよろい」を手に入れることが、ゲーム上でこの町を訪れる目的です。しかし、かつては
この町で平和に暮らしていた人びとがいた……と考えると、わずか64KBで作られた『ドラクエ』の物語の深さを感じられます。
次作『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』にも、滅ぼされた地が登場します。ゲームの冒頭で、
「ムーンブルク」の兵士が「大神官ハーゴン」の率いる魔物が城に襲来したことを「ローレシア」の王に告げ、
そのまま「ぐふっ」というセリフとともに息を引き取ります。ゲームのプレイ時は、これから始まる冒険にワクワクし、
いち兵士の死にそこまで気持ちを揺さぶられることはなかったかもしれません。
実際にムーンブルク城を訪れると、魔物に殺された人びとが魂となってさまよっており、
話しかけると無念を口にします。魂となったムーンブルク王は、娘が犬にされたことを
「おお くちおしや……」と嘆くのです。さらに、ムーンブルクの王女を連れて行くと
「だれかいるのか? わしにはもうもうなにもきこえぬ。なにもみえぬ……」というセリフに変わる、あまりに悲しい演出がされました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa05073dd2a68e7b7260fcefd1b49c0001c94f77?page=1