それ以来、メーカーに変形学生服のデザインを提案しては作ってもらい、
店で販売するというサイクルを「20年ほど続けた」。3ヶ月に一度は新作を出す方針で、
「ファイブタックのボンタンとか、学ランの襟の長さを変えるとか、存在しない物を作ってきた」と胸を張る。
しかし、1990年代に入り、校則の厳格化やブレザータイプの制服導入などで変形学生服の需要は急減。
高野さんはブレザー制服の生地でボンタンを作って販売するなど工夫したが、
時代の流れにはあがらえなかった。高野さんは「世の中にない、変わった物を作ることが大事。
その気持ちは今も変わらない」と話す。
懐かしい…チェーン付き裏ボタンを発見!!
44歳の記者の中学生時代(1990年代前半)はすでにヤンキーブームは下火。ボンタンや短ランを着る人は
クラスに数人いるかどうかだった。そんな記者でも黒色のボンタンジャージを試着すると「ああ、懐かしい」と懐古厨になり、
ワタリ幅50センチのボンタンジャージの購入を決定。そして店内を見渡すと、
レジカウンター前に懐かしいヤンキーグッズがずらりと並んでいることに気付いた。
なんと「チェーン付き裏ボタン」ではないか! 高野さんによると、メーカーが生産停止を決めた際に在庫を一括購入。
「残っている分だけ」を販売しているといい、記者は迷わずこれも購入した。
中学生の息子用にヤンキーグッズを購入 息子の反応は…
チェーン付き裏ボタンを付けた学ランを着た記者。学ランは同僚の息子の私物を借りました。
店内には、記者と同じように食い入るように「チェーン付き裏ボタン」を見つめるお客さんの姿が。
「国道を通るたびにずっと気になっていた。やっと来店できた」と話してくれたのは、民宿と飲食店を経営する男性(52)。
約100キロ離れた長野県野沢温泉村から自動車で来たという。男性は長野県松本市出身で、
中学時代はセミ短ランと細めのボンタンでキメていた。「友達も先輩、後輩もみんな変形学生服。
私はヤンキー(不良)ではなかったけど、みんなと同じファッションとして変形学生服を着ていた」。
クラスのほぼ全員が変形学生服を着る。男性を含めた「ビー・バップ・ハイスクール」世代では、それが当たり前だったという。
男性は「昭和グッズが懐かしいですね」と話しながら、「夜露死苦」や「仏恥義理」「暴走天使」の文字が
プリントされたTシャツも熱心に物色。そして、チェーン付き裏ボタンを「中学生の息子用に」と購入した。
中学1年生の次男(12)は、藤原ヒロシさんを崇拝するファッションとおしゃれ好きで、
「東京リベンジャーズ」などの影響でヤンキーファッションにも興味があるのだという。
「気に入ってくれると思います」。男性は商品を手にうれしそうに店を去った。
取材を終えた日の夜。男性から記者の元にメールが届いた。そこには「プレゼントしたら学ランにさっそく装着」
の文字とともに、自分の学ランにチェーン付き裏ボタンを着けてうれしそうに微笑む少年の写真が添えられていた。
12歳の無垢な笑顔からは、ヤンキーは不良、古いといった概念などなく、
純粋にかっこいいファッションとして接している様子が伝わってきた。
昭和のヤンキーのセンス、まだまだ捨てたもんじゃない。(半田茂久)
とにかくズボンユルユルなら何でも大正義みたいな風潮だった
リバックス派
ベンクーガーだな
持ち手をテープでグルグル巻
そもそもボンタンジャージは30年以上前からあるぞ
スケベ分けのボンタンの兄ちゃんよく見かける
着てこなかったが
なんか聞き覚えある
メーカー名かな確か
漫画で言うと何になるんだろ、クローズあたりかな
そしてすぐ後にバギーww
【画像】BANDAI、三万超えフィギュアで勝手に内容減量もキャンセルさえ無理な模様www »
ヤンキー全盛期、ボンタンを年間2万本売った衣服店の現在 新たな主力は“ボンタンジャージ”
黄色が目立つド派手な外観に「めざせいい男」のキャッチコピー。長野県小諸市の国道18号沿いに建つ
「メンズショップ・タカノ」は、かつてはボンタンや短ラン、長ランといった変形学生服をメインに販売していた衣料品店だ。
変形学生服のブームは1970年代~90年代前半まで続き、経営者の高野弘夫さんは
「最盛期は変形学生ズボンを年間2万本売った」と懐かしむ。しかし、ブームが去った今、
メンズショップ・タカノの店内に変形学生服はない。その代わりに「新しいファッション」として
ジャージ生地の「ボンタンジャージ」を推している。
メンズショップ・タカノのオリジナル商品「ボンタンジャージ」
ボンタンジャージは、高野さんの共同経営者で息子の光弘さんが店舗裏の工場で作るオリジナル商品。
普段着でボンタンのデザインを楽しめるようにと、10年ほど前に売り出した。
中高生でボンタンをはいていた世代が懐かしがって買っていく他、「東京リベンジャーズ」や
「今日から俺は!!」の影響でヤンキーファッションに興味を持った若者も買っていく。
高野さんは「5年ほど前から生産が追いつかない人気」と話す。ワタリ幅(もも幅)は40センチ、50センチ、60センチがあり、
色は学生服をほうふつさせる黒の他に紫や赤、白、ピンクもある。
変形学生服は「俺が仕掛け人」 20年にわたり新デザインを提案
スーツの代わりにボンタンジャージをはいた記者
ヤンキー文化の全盛期には、変形学生服やヤンキーグッズを求める中高生で店内はごった返したという。
変形学生服を取り扱い始めた理由を高野さんに聞くと、「そもそも俺が変形学生服を作った仕掛け人」とニヤリ。
高野さんによると、きっかけは1973年で、学生ズボンのデザインにスリムとストレートしかない時代。
高野さんは「太めのバキータイプの学生ズボンがあれば売れる」と考え、
岡山県内のメーカーにデザインを提案して発注した。すると、400本ものバギータイプの学生ズボンが送られてきた。
「さすがに400本は売れない」と肩を落として店に出すと、「大ヒットで、あっと言う間に売り切れた」。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4b57585d77a03aa4a819b37518ac7b4f5522191a?page=1